結城理仁は自分のスタイルに気をつけていたから、暴飲暴食して太るのは許せないのだ。 ダイエットして体重を落とすのは大変だ。 内海唯花は微笑んで言った。「結城さんはスタイルが良いですよね」 「じゃあ、私は部屋に戻って寝ますね」 結城理仁はそれにひと言返事をした。 「おやすみなさい」 内海唯花は彼におやすみの挨拶をすると、後ろを向いて部屋へと戻ろうとした。 「待て、内海、内海唯花」 結城理仁は彼女を呼び止めた。 内海唯花は振り向いて尋ねた。「何か用ですか?」 結城理仁は彼女を見てこう言った。「今後はパジャマのまま出てこないでくれ」 彼女はパジャマの下に下着をつけていなかった。彼は目が良いので見ていいもの悪いもの全てが見えてしまうのだ。 彼らは夫婦だから彼が見るのはいいとして、万が一誰か他の人だったら? 彼はなんといっても自分の妻の体が他の男に見られるのは嫌なのだ。 内海唯花は顔を赤くし、急いで自分の部屋に戻ると、バンッと音をたててドアを閉めた。 結城理仁「......」 彼は気まずいとは思っていなかったが、彼女のほうは恥ずかしかったらしい。 少し座ってから、結城理仁は自分の部屋に戻った。この家は臨時で購入したもので、高級な内装がしてある家だ。ただすぐに住める部屋ならどこでも良かったのだ。 しかし、あまりに忙しくて彼の部屋も片付けられていなかった。 彼は内海唯花が物分りが良いことにはとても満足した。ずうずうしくも彼と同じ部屋で寝ようとはしなかったからだ。 さらに彼に夫としての責任も要求してこなかった。 それからの残りの夜は、夫婦二人何のいざこざもなく過ごせた。 次の日、内海唯花はいつもどおりに朝六時に起床した。 これまで、彼女は朝起きるとまず朝食を用意して、家の片付けをしていた。時間に余裕がある時は、姉を手伝って洗濯物を干していた。彼女が姉の家に住んでいた数年は家政婦のようなことをしていたと言ってもいい。ただ姉の負担を減らしたいがためにしていたことだったのだが、義兄の目にはやって当然のことだと映っていたのだろう。彼女を家政婦同然と見て使っていたのだ。 この日起きて、まだ見慣れない部屋を見回し、頭の中の記憶部屋で整理して内海唯花は一言つぶやいた。「私ったら、寝ぼけちゃってるわ、まだ
食事を終えると、結城理仁は財布を取り出し、開けて中を見てみた。現金はあまり入っておらず、彼は銀行のキャッシュカードを取り出し内海唯花の前に置いた。 内海唯花は眉をピクリと動かし彼を見つめた。 「何か買うなら金が必要だろう。このカードは君に渡しておくよ、暗証番号は......」 彼は紙とペンを探し、暗証番号を紙の上に書いて内海唯花に手渡した。 「今後はこのカードの中の金を家の金と思って使ってくれていい。毎月給料が支払われたら君のカードに送金する。今後買ったものは記録でもつけといてくれ。俺は君がいくら使おうと構わない。だが、何に使ったのかは把握しておきたいんだ」 結婚手続きを終えた時に内海唯花は彼に尋ねた。夫婦間で出費を半々に負担する必要はないと言っていた。結婚して夫婦になり家族になったのだ。彼は彼女が金を使うのは全く気にしていなかった。 どのみち彼自身もいくら金があるのかなど把握していなかった。一家の財産が、一体正確にいくらあるのか全く知らないのだ。普段会社で忙しく働きお金を使う暇もなかった。だから、妻一人くらい養うことは、彼にとっては少しお金を使う機会を得たくらいのものだった。 しかし彼も都合のいいカモになるつもりなど毛頭なかった。彼の中では内海唯花は腹黒女なのだから、用心するに越したことはないのだ。 ただ彼女がこの家にお金を使うなら、彼女の好きにしたらいい。彼は全くそれについては意見はなかった。 内海唯花は結城理仁のこのような態度とやり方が気に食わなかった。 彼女はキャッシュカードと暗証番号が書かれた紙を一緒に彼に突き返した。暗証番号すら一度も見なかった。 「結城さん、この家はあなた一人で住んでいるんじゃなくて、私も一緒に住んでいます。家を買ったのはあなたです。私も同居して外で部屋を借りる家賃は必要なくなりました。この家の出費を、またあなた一人に負担させるわけにはいかないですよ。家に必要な物のお金は私が出します」 「四万円を超える場合は相談させていただきます。あなたは少し出してくれるだけで結構です」 彼女の収入も決して少なくないので、家庭における日常の出費は全く問題なかった。少しお金がかかるもの以外は、彼にお金を出してもらう必要はないのだ。 彼にお金を出してもらう分には抵抗はなかったのだが、問題は彼の内海唯花
内海唯花は予定通りに姉の家へ行った。家に着くと、姉はもうとっくに起きていて台所で忙しなく家事をしていた。「お姉ちゃん」「唯花ちゃん、あがって、あがって」台所から出てきた佐々木唯月は妹の顔を見て、嬉しそうに「もう食べたの?お姉ちゃん今素麺作ってるの、一緒に食べる?」と聞いた。「ううん、いいよ、もう食べたから。そういえば、朝食買ってきたよ、素麺はもう鍋に入れたの?まだだったら、陽ちゃんと一緒にこれを食べて」「まだよ、ちょうどよかったわ。実はね、昨日陽が熱出しちゃって、一晩中ずっと看病してやってて全然眠れなかったの。だから今朝起きるのが遅くなって、お義兄さんも外で朝を食べたのよ。毎日家にいて何もしてないくせに、子育てだけでぐったりして、朝ごはんすら作ってくれないって彼に散々言われたわ」佐々木唯月は少し悔しそうにしていた。それを聞いた内海唯花は腹を立てて言った。「陽ちゃんどうして熱が出たの?今熱がなくても、後で病院に連れて行ってあげてね。そうしないとまた拗らせて繰り返すわよ。義兄さんも義兄さんで、子供が病気なのに、全く手伝ってくれないうえに、お姉ちゃんを叱ったりするなんて一体どういうことよ」 「お姉ちゃん、私今もうこの家から出て行ったのよ。義兄さんはまだ生活費の半分をお姉ちゃんに押し付けてる?」 ソファに腰をかけた佐々木唯月は妹が持ってきたうどんを出し、食べながら言った。「後で陽をお医者さんのところに連れていってくるわ。生活費なら、やっぱり私と半々で負担してるよ。彼は私が毎日ただお金を使っているだけで、どうやってお金を稼ぐかも、彼がどれだけプレッシャーを受けているのかも知らないって言うの。まあ、私もこの家の一員である以上、少しくらい負担しないとね」 「きっと彼の姉さんが言ったことよ。あの義姉さんはお嫁に行っても、まだ実家のことばかり気にしているの。以前義兄さんは私によくしてくれてたのに、あの義姉さんのせいで......」実は佐々木唯月は会社を辞める前にもう財務部長までにのぼっていて、かなりの給料をもらえていたが、愛のため、結婚のために色々なものを犠牲にしてここまで来たのだ。それなのに、最後に得られたのは夫の家族からの悪口だけだった。 彼女がお金を使っても、全部この家ために使っていることだ。久しぶりに自分の服を買うのにも、妹
「行こう」結城理仁は心の中で内海唯花に小言を呟いたが、直接彼女に何か言ったりしたりはしなかった。内海唯花は彼の妻だが、名義上だけだ。お互いに見知らぬ人と変わらなかった。運転手は何も言えず、また車を出した。一方、内海唯花は夫の高級車にぶつかりそうになったことを全く知らず、電動バイクに乗ってまっすぐ店に戻った。牧野明凛の家は近くにあるので、彼女はいつも内海唯花より先に店に着いていた。「唯花」牧野明凛は店の準備が終わってから、買ってきた朝食を食べていた。親友が来たのを見て、微笑んで尋ねた。「朝もう食べたの」「食べたよ」牧野明凛は頷き、また自分の朝食を食べ始めた。「そういえば、おいしいお菓子を持ってきたよ、食べてみてね」牧野明凛は袋をレジの上に置き、親友に言った。電動バイクの鍵もレジに置くと、内海唯花は椅子に腰をかけ、遠慮なくその袋を取りながら言った。「デザートなら何でも美味しいと思うよ。あのね、明凛、聞いて。ここに来る途中で、ロールスロイスを見かけたよ」 牧野明凛はまた頷いた。「そう?東京でロールスロイスを見かけるのは別に大したことじゃないけど、珍しいね。乗っている人を見た?小説によくあるでしょ、イケメンの社長様、しかも未婚なんだ。そのような人じゃない?」内海唯花はただ黙って彼女を見つめた。にやにやと牧野明凛が笑った。「ただの好奇心だよ。小説の中には若くてハンサムなお金持ち社長ばかりなのに、どうして私たちは出会えないわけ?」「小説ってそもそも皆の嗜好に合わせて作られたものでしょ。どこにでもいるフリーターの生活を書いたら誰が読むのよ、まったく。社長じゃなくても、せめてさまざまな分野のエリートの物語じゃないとね」それを聞いた牧野明凛はまた笑いだした。「そうだ。唯花、今晩あいてる?」「私は毎日店から家まで行ったり来たりする生活をしてるだけだから暇だよ、何?」内海唯花の生活はいたってシンプルだった。店のこと以外は、姉の子供の世話だけだった。「今晩パーティーがあるんだ。つまり上流階級の宴会ってやつなんだけど、一応席を取ったから、一緒に見に行きましょ!」内海唯花は本能的に拒絶した。「私のいる世界と全く違うから、あんまり行きたくない」 確かに月収は悪くないのだが、上流階級の世界とは次元が違うので、全
パーティーが開かれた場所はスカイロイヤルホテル東京だった。普段なら内海唯花とは縁のない所だった。スカイロイヤルホテル東京は市内の最高級ホテルの一つとして、七つ星ホテルと言われているが、果たして本当にそうなのかどうか、内海唯花は知らなかったし、個人的に興味もなかった。内海唯花たちより先にホテルに着いた牧野のおばさんは知り合いの奥さんたちと挨拶を交わした後、息子と娘を先にホテルに入らせて、玄関で姪っ子が来るのを待っていた。姪っ子を迎えに行かせた車が他の車の後ろについてゆっくり到着したのを見て、彼女の顔に笑みが浮かんだ。すると、牧野明凛は海内唯花を連れておばさんの前にやってきた。「おばさん」「おばさん、こんばんは」海内唯花は親友と一緒に挨拶をした。 姪っ子が内海唯花を連れて来ることを知った牧野のおばさんは、少し気になっていた。実際に彼女に会ったことがあるからこそ、この両親を失った娘が自分の姪っ子より美人であることを認めなければならなかった。いたって普通の家庭出身なのに、顔立ちと仕草にはどこかお嬢様の気品が漂っていた。彼女と一緒だと、姪っ子の美しさが霞んでしまうのではないかと心配していたが、もう結婚していると義姉から聞いて、一安心した。目の前の内海唯花をよく見ると、彼女はドレスすら着ていなかった。普段着に薄化粧しているだけで、高いアクセサリーもつけていなかった。彼女のその生まれつきの美しさもおしゃれした姪っ子の前では覆い隠されてしまい、牧野のおばさんはやっと安心して頷いた。内海唯花は本当によく気の利く、物分りがいい娘だと思った。「よく来たね。私が連れて行ってあげるわ。明凛、招待状を出しておいてね。中に入るのに必要なんだ。チェックしないと」牧野明凛は慌てて自分の招待状を出した。「中に入ったら言葉には気をつけるのよ。ちゃんと見てちゃんと聞くの。頃合いを見計らって紹介してあげるわ。唯花ちゃん、あなたは明凛より大人だから、彼女が何かやらかさないように見張ってちょうだいね。お願いするわよ。スカイロイヤルホテル東京はここの社長が管理しているホテルの中の一つなの。その家のお坊ちゃんたちも今夜のパーティーに顔を出すかもしれないわ」牧野のおばさんはこっそりと姪っ子に言った。「明凛、もしあなたがここの御曹司のご機嫌を取ることができたら、牧
結城理仁は大勢の人に囲まれて入ってきて、隅っこに隠れていた新妻がいることに全く気付かなかった。内海唯花も同様、人垣をかき分けて自分の夫を見るすべもなかった。 暫く背伸びして眺めていたが、当事者の姿が全然見えないと、すっかり興味を失ったように椅子に座り直して、親友を引っ張りながら言った。「どうせ見えないから、見なくてもいいよ。食べましょ」彼女にとって、今晩ここに来た一番重要な課題は食べることだから。「唯花、ここでちょっと待ってて、さっき誰が来たのか、ちょっとおばさんに聞いてくる。こんなに大勢が集まるって、まるで皇帝のご帰還じゃないの」内海唯花は適当に「うん」と相槌した。牧野明凛は一人でその場を離れた。 取ってきたものを全部食べ終わった内海唯花は空になった皿を持って立ち上がった。みんなが偉い人の所へ行っているうちに、自分は簡単に食べ物が取れて、他人の異様な視線も気にしなくてよかったのだ。結城理仁は入ってくると、まず今夜のパーティーを主催した社長と世間話をしていた。周りのボディーガード達はしっかり周囲の動きに注意を払っていた。なぜなら、この若旦那は女が近づいてくるのを好まなかったからだ。毎回こういう場面で彼らがいつも付いていくのは、不埒なことを考える人から若旦那を守るためだった。名高いボディーガードの身長も高いので、視線も他人より高く、遠くまで見える。本能的に会場を見回していると、女主人の姿を見たような気がした。結城理仁は正体を隠して海内唯花と結婚したのだが、周りのボディーガードは彼女のことを知っていた。そのため、最も内海唯花を知るのは結城おばあさんを除けば、このボディーガード達だった。内海唯花を見たボディーガードは最初、自分の見間違いだと思って、目を凝らしていたが、やっぱりその人は女主人様じゃないか。彼女は自分の夫が来てもかまわず、二つの皿を持ちながら、自分の好きなものを楽しく選んでいた。やがて、お皿が二つともいっぱいになると、その二皿分の料理を持ち、人に気づかれにくい隅っこのテーブルへ行った。 そして、何事もなかったかのように、食事を楽しんでいた。 ボディーガードは無言になった。「......」結城理仁が何人かの顔見知りの社長たちと話を済ませた後、そのボディーガードは隙を見て彼の傍へ来て、小声で報告した。「若
牧野明凛はグラスを口元まで持ち上げて、ワインを一口飲んだ。「小説の読みすぎじゃない?同名同姓の人なんかそこら辺にたくさんいるわよ。同姓というなら、京都の有名な大金持ちの苗字は鈴木だよ、世の中の鈴木さんは全部彼の親戚というわけ?」牧野明凛は笑った。「それもそうだね」「うちのはただのサラリーマンで、持ってる車も250万ぐらいのホンダ車よ。結城家の御曹司もそういう車にするの?もう、考えすぎだよ」内海唯花は玉の輿なんて考えたこともなかった。夢を見るのはいいのだが、見すぎるのはよくないと思っていた。「ところで、結城家の御曹司って、そんなに女性のことを拒絶してて、ホモなんじゃ?結婚してるの?」内海唯花はそのお坊ちゃんの顔には興味なかったが、彼がそんなに女性の接近を拒絶しているのは、高潔であるか、あるいは何か問題があるか、アッチ系なのかもしれないと思っていた。「結婚の話は聞いたことないわね。私たちは庶民とはいえ、結城家の当主が結婚したら、東京中、絶対大騒ぎになるよ。ネットといい、新聞といい、彼の結婚のニュースでもちきりになるわよ。それがないってことはつまりまだ独身だってことでしょ」牧野明凛はグラスを置いた。「そうだね、何か問題があるかもしれないよね。だって、そんなに立派な男性なら、恋人がいないなんておかしいわよ」「お金持ちの考えなんて、私たちには一生わからないかもよ。もう、食べましょうよ。食べ終わったらさっさと帰りましょ」「うん」と牧野明凛が答えてから、二人はまた遠慮なくご馳走を楽しんだ。多くの人が二人のことを見た。ある人はすぐ目をそらしたが、またある人は嫌そうな顔をして、あざ笑った。どこかのご令嬢が若い使用人を連れてきて、今までろくなものを食べたことがないみたいに、一晩中ずっと隅っこで飲み食いしているなんて、はしたない。それにしても、この二人よく食べたね!「明凛姉さん」牧野のおばさんの息子である金城琉生が近づいてきた。彼は牧野明凛より三歳年下で、幼いころから仲のよかった従弟だ。親に付き合って一週挨拶回りした後、母親は突然従姉の明凛のことを思い出すと、彼に頼んで探させた。「琉生、こっちに座って」牧野明凛は椅子を引いて、従弟を座らせた。内海唯花が笑顔を見せると、金城琉生は顔を少し赤く染めて、彼女にグラスをあげ、
牧野明凛は満足そうに食べ終ると、金城琉生の話を聞いて笑い出した。「琉生、おねえさんはね、逸材な男なんかに全然興味ないのよ。今晩唯花と一緒に来て、ただ視野を広げるついでに、ご馳走を楽しんでるの。さすが七つ星のホテル、食べ物が全部おいしかったよ。私たちはもう満足したわ」金城琉生は無言になった。「......」「もう満足したし遅いから、琉生、先に唯花と一緒に帰るね。おばさんに言っておいて」それを聞いた金城琉生は少し焦った。チラッと内海唯花のことを見ながら言った。「明凛姉さん、もう帰っちゃうの?パーティーはまだまだ続くんだ。まだそんな遅い時間じゃないじゃないか。十一時まで続くらしいよ」「私たち、明日も店を開かないといけないから、夜十一時までいられないよ」と内海唯花は答えた。金城琉生も二人につれて一緒に立ち上がった。「でも、店なら少しくらい遅れてもいいんじゃないんですか」内海唯花の隣について、彼は二人の姉をもう少し引き止めようとしていた。「そうはいかないよ。うちは毎日、登校下校塾帰りのラッシュ時間に稼いでるんだよ。朝を逃したら、結構な損なんだから」牧野明凛は自分の従弟の方を叩き、からかうように笑った。「琉生、一人で楽しんでね。まだまだ子供だけど、もし好きな子が見つかったら、恋愛はどういうものか、試してもいいんだよ」またチラッと内海唯花を見た金城琉生は顔を赤らめて、はにかんだように言った。「明凛姉さん!僕まだ大学を卒業したばかりだよ。何年か働いてから結婚のことを考えるつもりだ」海内唯花は何気なく言った。「男の子なんだから、そんなに焦らなくても。まだ二十二歳でしょう。二年でも経ってからまた考えてもいいんじゃない」金城琉生がうなずくと、彼女はまた懐かしそうに声をあげた。「琉生君に出会った時、まだまだ子供だったよね。あっという間にこんなに立派になっちゃって」「......」彼はまた黙ってしまった。姉たちを止められず、金城琉生はやむを得なく二人をホテルの外まで送り出した。 「明凛姉さん、車で来たんじゃなかった?」「おばさんが迎えの車を手配してくれたよ」牧野明凛は全然気にしてなかった。「唯花とタクシーで帰るから、琉生、戻っていいよ。おばさんに言っとくのを忘れないで。じゃ、先に帰るよ、楽しんできて」ホテルの入り口にもた
「本当に気が利く優しい人ね」唯花は服を手に取り、すぐにはベッドをおりなかった。片手で服を抱きかかえ、もう片方の手で携帯を取り、いつものように先にインスタを開いて確認した。昨夜アップしたストーリーズには数人「いいね」を押してくれていた。しかし、そのストーリーズを公開している人は近しい友人などに限っていた。業者が提携している店にだけ売るように、彼女は誰にでも見せるのではなく、自分のプライベートな空間をしっかりと守っていたのだ。ストーリーズなら、どのみち24時間で削除されてしまうし。昨晩アップしたストーリーズに初めに「いいね」を押した人は理仁だった。唯花はそれを見て驚いた。彼ら夫婦がお互いにインスタをフォローした時に、彼女はストーリーズを彼に対して公開するにしていただろうか?たぶん当時、彼がフォローしてくれた時に、特に彼に対してストーリーズを非公開設定にはしていなかったのだろう。結婚手続きをしてからというもの、彼女のハンドメイド作品やベランダに咲く花以外に特に何もストーリーズに投稿していなかったことを思い出した。唯花はそれでホッと胸をなでおろした。幸いにもインスタで理仁の悪口を言っていなくてよかった。その時、理仁がドアを開けて入ってきた。「目が覚めた?」彼はスポーツウェアを着ていた。聞くまでもなく、彼は外で朝のジョギングをしてきたのだ。「寒くなったのに、あなたもこんな朝早くに起きてジョギングだなんて」「習慣になってしまったからね」理仁は部屋のドアを閉めた後、彼女のほうへ歩いてきて、ベッドの端に腰をおろし、心配そうに彼女に尋ねた。「お腹はまだ痛い?」「もう大丈夫よ」唯花は服を抱えて携帯を手に持ちベッドからおりた。「今すぐ着替えたりしないよね、私が先に洗面所に行ってくるから」「先に使って。俺は朝ごはんを作りに行くから」唯花はそれを聞いて足を止め、彼のほうへと向いて尋ねた。「あなた、問題ない?」聞いた理仁は顔を暗くさせた。唯花は彼のその表情の変化に気づき、急いでいった。「そういう意味じゃなくて、美味しい朝ごはんが作れるかって聞きたかったの」理仁は立ち上がり、彼女の前までやって来ると、手を彼女の整えていない乱れた髪に当て、それを梳かしてあげながら低い声で言った。「俺に問題があるかないかは、君が実際
理仁は唯花を抱きしめて、一緒に夢の世界に入ろうと思っていた。そして瞳を閉じた後、彼は突然あることを思い出し、急いで彼女をそっと自分から離し、ベッドに座り直した。そして手を伸ばして唯花がベッドサイドテーブルに置いた携帯を手に取った。彼がインスタに投稿したのは彼ら上流社会たちの間で彼が結婚したと宣言するものだった。その写真は必ず外に流出することだろう。理仁も別にその写真が世間に広まっても怖くはなかった。ただ手が写っているだけだから唯花を守れてはいるのだ。だからそんなに早く記者たちから彼女が詰め寄られることはないのだ。しかし、唯花がアップしたインスタは、恐らく神崎姫華も目にすることだろう。彼女と神崎姫華は今とても仲が深くなっているから、二人は絶対にお互いをフォローしているはずだ。そして、神崎玲凰が誰かを介して理仁の写真を見て、さらに姫華も唯花のインスタ投稿を見れば、その二つを見比べて姫華がきっと唯花こそが彼の妻だということに気づくだろう。今はまだ神崎姫華に彼と唯花の関係を知られるわけにはいかない。唯花と神崎夫人がDNA鑑定をした結果はここ数日で出てくるはずだ。その結果がどうであれ、唯花と姫華が気が合うという事実は変えようがない。彼の正体が姫華によってばらされてしまったら、その結果どうなるか理仁は想像するだけで恐ろしかった。唯花の携帯を手に取り、理仁は彼女のインスタを開こうと思ったが、パスワードがあるから開くことはできなかった。「パスワードか――」理仁は眉を寄せて、さっき唯花が携帯を開いていた時のことを思い出していた。彼はすぐ横にいて、見ていたのだ。彼女の設定したパスワードは――暫く記憶を呼び覚ましてから、理仁は入力を試みた。一回目は間違った。そして、二回目もまた間違えてしまった。理仁は手を止めた。自分に冷静になれ、焦るなと言い聞かせ、唯花がパスワードを入力していた時、どの数字を打っていたかまた思い出そうとした。しんとした時間が数分過ぎ、理仁は再び入力を試してみた。今回はパスワードが正しく無事開くことができた。理仁は口元をニヤリとさせた。彼は今、数千億の契約を取った時よりも嬉しそうな顔をしている。彼は急いで唯花のインスタを見てみた。やはり姫華がフォローしていたのだった。姫華が自分のインスタアカウント
彼女がここで注目したのはまさか金なのか!彼は結城家の御曹司にして、結城グループを率いる社長だ。家は億万長者の名家だというのに、まさか妻からお金があるのかと疑われる羽目になるとは……彼女を離し、理仁は立ち上がって出て行ってしまった。唯花は目をパチパチさせて、怒りん坊をまた怒らせちゃったかと思っていた。彼女も立ち上がったが、彼をなだめに行くことはせず、自分で水を入れて彼が持ってきてくれた薬を飲んだ。彼が自分の格好も気にせず、ナイトウェアとスリッパ姿で薬を探しに行ってくれたのだ。彼女がそれを飲まなかったら、彼のせっかくの好意を無下にしてしまって、また彼がさらに腹を立ててしまうかもしれない。すると理仁はすぐに彼女のもとへ戻ってきた。「手を出して!」彼は命令口調で言った。「どうしたの?」唯花が彼のほうへ顔を上げると、彼の手には赤いボックスがあって、彼女は尋ねた。「……これって、指輪?」理仁はそのボックスを開けて、彼女の左手を掴み、その中に入っていたゴールドの指輪を取り出して彼女の薬指にはめた。「これは俺が先に買っておいたものなんだ。後でエタニティリングのほうが綺麗だと思って、あれにしたんだけど、とりあえず今はこれをつけておいて。これはまあ応急措置とでも言っておこうか。明日の朝店に着いたら、あのエタニティリングをまたつけてあげるよ」ゴールドの指輪は理仁が本来、神崎姫華を追い払うために買ったのだが、その時に唯花のことを思いカップルリングで買っておいたものだ。今、ようやくこの指輪も登場する出番が回ってきたのだった。唯花の指にそのゴールドの指輪をはめ、理仁は自分の指輪も取り出した。とりあえず、エタニティリングは外して、このゴールドの指輪のほうをはめておくことにした。彼女とずっと一緒にいると約束したのだから、お揃いでつけていなくては!まったく呆れた俺様大王だ。偉そうだし、心は狭いし、すぐにヤキモチを焼きたがる。その嫉妬はこの世を崩壊させてしまうくらいに激しい。唯花は心の中でこの自分の夫に愚痴をこぼしていた。理仁はゴールドの指輪をはめた後、再び唯花の手を取り、お互いの指を絡め合った。そして、もう片方の手で携帯を取り、夫婦二人がしっかりと握った手を写真に収めた。唯花は可笑しくなって言った。「これをインスタにでもアッ
唯花は座って、そのジンジャーティーを持ってきて、ゆっくりと飲んだ。理仁が心配してくれる気持ちのおかげか、それともジンジャーティーの効果なのか、彼女は飲み終わって少しの間横になっていると、かなりお腹の痛みが緩和された。理仁が薬を手に入れて戻ってきた頃、彼女は携帯でニュースを見ていた。「お腹が痛いのに携帯をいじってるなんて」理仁は彼女のもとへ近寄り携帯を取って、薬を彼女に手渡した。実際はボディーガードに頼んだのだが、彼はこう言った。「夜遅いからドラッグストアは閉まってたよ。だから、比較的近くに住んでる同僚に連絡して痛み止めを持ってないか聞いたんだ。さ、これを飲んだら休むんだ」唯花は顔を彼のほうへ向けてじいっと見つめた。「どうした?」彼女は突然立ち上がり、彼の前に立って彼の腰をぎゅっと抱きしめ感動した様子で言った。「理仁さん、あなた私に優しすぎるわよ!」理仁も彼女を抱きしめ返した。そしてジンジャーティーを飲んで彼女はだいぶ楽になったのだと思い、愛情のこもった声で言った。「君は俺の妻だろ、優しくするのは当然だ。じゃなきゃ一体誰に優しくしろって?」彼が彼女にとても良くしてくれると感じてくれれば、今後彼に騙されていたということを知っても、彼を捨てることはしないと願っていた。きっと彼が彼女に優しくして、よく気遣ってくれたことを思い、それを考慮してくれるはずだ。おばあさんからも彼女の心を攻めろと言われていたことだし。甘い言葉を吐くのは彼は慣れないし、彼女だって聞き慣れない様子だ。だから日々の暮らしの中の細かいところまで気を配り、少しずつ彼女の心を溶かして信頼関係を築きあげ、彼女が彼を深海の如く深く深く愛するようにさせるしかない。そうすることで二人の未来が開けるのだから。「理仁さん」「なに」「あなたさっき出かける時、どんな格好で行ったかわかってる?ナイトウェアで出かけていったのよ」理仁は驚いて急いで彼女を離し、視線を下に向けて自分の着ている服を見てみた。確かにナイトウェアだ。「しかもスリッパを靴に履き替えずに出かけていったんじゃない?」理仁はまた自分の足に視線を落とした。なるほど出かけている時、なんだか足がスース―すると思ったわけだ。スリッパのまま出かけてしまったのか。幸い夜遅くに出かけたので、誰も彼を見てい
「唯花さん、どうしたんだ?」理仁は彼女の異様な様子に気づき、急いで近寄ってベッドの端に腰をおろした。そして手を伸ばして彼女の身体に当て心配そうに尋ねた。「具合が悪いの?」「お腹が痛いの」「お腹が?もしかして夜食を食べた時に、食べ過ぎで痛くなったの?」唯花は彼をうらめしそうに見ていた。「違うの?だったら、どうしてお腹が痛くなった?」唯花は体の向きを変えて彼に背を向けた。「あなたにはわからないわ。ちょっと横になって我慢してたら良くなるわよ」理仁は眉をひそめた。彼は立ち上がって、すぐに腰を曲げ唯花をベッドから抱き上げた。そして整った顔をこわばらせて言った。「俺には医学的なことはわからない。でも医者にならわかるだろう。病院に連れて行くよ。我慢なんかしちゃだめだ。もし何かおおごとにでもなったら、後悔してももう遅いだろ」「病院なんか行かなくていいの。私はその……月のものが来ただけよ。だからお腹が痛くなったの」理仁「……月のもの……あ、あー、わ、わかったよ」彼は急いで唯花をまたベッドに寝かせた。「どうして痛くなるんだ?」彼は女性が生理中にお腹が痛くなるということを知らなかった。彼の家には若い女の子はいないのだ。両親の世代には女性がいるが、若い女性には今まで接したことがない。そう、だから本気でこんなことは知らなかったのだ。唯花が生理になった当日は、彼は彼女にジンジャーティーを入れてあげたが、あれは彼が以前、父親が母親にそのようにしてあげていたのを見たからだった。それで女性は生理中にはジンジャーティーのようなものをよく飲むのだと理解していた。「たぶん昼間たくさん動いたし、寒かったし、それで痛くなったんだわ。またジンジャーティーでも作ってくれない?」「わかった。暫く耐えてくれ。すぐに作ってくるから」理仁はすぐにジンジャーティーを作りに行った。キッチンで彼は母親に電話をかけた。「理仁、お母さんは寝ているぞ。何か用があるなら明日またかけてくれ」電話に出たのは父親のほうだった。「父さん、母さんを起こしてくれないか?ちょっといくつか聞きたいことがあるんだ」「聞きたいことって、今じゃないとダメなのか?言っただろ、母さんはもう寝てるんだって。彼女を起こすな。何だ、どんな問題なんだ?父さんに言ってみろ、解決できるかも
俊介はかなり怒りを溜めていた。一方、唯花のほうは今日、かなりスッキリしているようだ。夫婦二人が姉の賃貸マンションから出て来た後、唯花はずっと笑顔だった。理仁は可笑しくなって彼女に言った。「そんなに豪快に笑ってないでよ。お腹が痛くなるよ」「笑いでお腹が痛くなるっていうなら、ウェルカムよ。今頃、佐々木俊介はあの家に帰ってる頃よ。あいつ家に着いてどんな反応をしたかしらね?絶対入る家を間違えたって思ってるわよ。あはははは、あいつの反応を想像しただけで、思わず笑いが込み上げてくるわ。またちょっと大笑いさせて、あはははははっ……」理仁も彼女につられて笑ってしまった。そして危うく街灯にぶつかってしまうところだった。驚いた彼は急いでハンドルを切り、それをなんとかかわした。唯花もそれに驚いて笑いを止めた。安全運転になってから唯花は言った。「理仁さん、あなたの運転技術は如何ほどなの?下手なら、今後は私が運転するわ。私運転は得意なのよ。カーレースだって問題ないわ」「俺は18歳の時に免許を取ったもう熟練者だぞ。さっきはちょっとした事故だ、笑いすぎて集中力が落ちてたんだよ」唯花「……まあいいわ。もう言わないから、運転に専念してちょうだい」彼女は後ろを向いて後部座席に座っているおばあさんを見た。おばあさんが寝てしまっているようだから、夫に注意した。「おばあちゃん、寝ちゃったみたい。音楽をちょっと小さくして」清水はまだ唯月の家にいて、一緒に帰ってきていないのだった。理仁は彼女の指示に従った。そして唯花はあくびをした。「私も眠くなってきちゃった」「もうすぐ家に着くよ」「ちょっと目を閉じてるから、家に着いたら起こしてね」「君は一度目を閉じたら朝までその目を覚まさないだろうが。寝ないで、あと十分くらいだから。おしゃべりしていよう」唯花は横目で彼を見た。「あなたとおしゃべりしたら、優しい神様ですら飽きて寝ちゃうかもしれないわよ」理仁「……」暫くして、彼は言った。「唯花さん、俺は大人になってから、君を除いて俺にそんなショックを与えられる人間は一人もいなかったよ」「私は事実を述べただけよ」唯花は座席にもたれかけ、携帯を取り出してショート動画を見始めた。ショート動画によってはとても面白いので、眠気も全部消えてしまった。そし
俊介「……こんなにあるゴミも片付けてねぇじゃねえか!」唯月は可笑しくなって笑って言った。「私が当時、内装を始めた時には同じようにゴミが散らかっていたじゃないの。それは私がお金を出してきれいに片付けて掃除してもらったのよ。その時に使ったお金もあんたは私にくれなかったじゃないの。今日、それも返してもらっただけよ」「人を雇って掃除してもらったとしても、いくら程度だ?そんなちっぽけな金額ですらネチネチ俺に言ってくるのかよ」「どうして言っちゃいけないの?あれは私のお金よ。私のお金は空から降ってきたものじゃあないのよ。どうしてあんたにあげないといけないのよ。一円たりともあんたに儲けさせたりするもんか」俊介「……」暫く経ってから、彼は悔しそうに歯ぎしりしながら言った。「てめぇ、そっちのほうが性根が腐ってやがる!」「私はただ私が使ったお金を返してもらっただけよ。そんなにひどいことしてないわ。あんたが当時、自分のお金で買った家と同じものにしてやっただけでしょ」俊介は怒りで力を込めて携帯を切ってしまった。そして、携帯を床に叩きつけようとしたが、莉奈がすぐにその携帯を奪いにいった。「これは私の携帯よ、壊さないでよね」「クッソ、ムカつくぜ!」俊介はひたすらその言葉を繰り返すだけで、成す術はなかった。唯月の言葉を借りて言えば、彼女はただ自分が内装に使ったお金を返してもらっただけだ。彼が買ったばかりの家はまだ内装工事が始まる前のものなのだから、誰を責めることができる?「俊介、これからどうするの?」莉奈も唯月は性根の腐った最低女だと思っていた。なるほど俊介が彼女を捨ててしまうわけだ。あんな毒女、今後一生お嫁には行けないだろう。莉奈は心の中で唯月を何万回も罵っていた。「こんな家、あなたと一緒に住めないわ」彼女は豪華な家に住みたいのだ。「私もマンションは大家さんに返しちゃったし、私たちこれからどこに住むの?」俊介はむしゃくしゃして自分の頭を掻きむしって、莉奈に言った。「ホテルに行こう。明日、部屋を探してとりあえずそこを借りるんだ。この家はまた内装工事をしよう。前は唯月の好みの内装だったことだしな。また内装工事するなら、俺らが好きなようにできるだろ。莉奈、君のところにはあといくらお金がある?」莉奈はすぐに返事をした。「
「ドタンッ」携帯が床に落ちた時、画面がひび割れてしまった。俊介は急いで屈んで携帯を拾い、携帯の画面が割れてしまったことなど気にする余裕もなく、再び部屋の中を照らして見渡してみた。莉奈も携帯を取り出して、フラッシュライトで彼と一緒に部屋の状況を確認するため照らしてみた。豪華な内装がないだけでなく、ただの鉄筋コンクリートの素建ての家屋にも負けている。「俊介、やっぱり私たち入る家を間違えてるんじゃないの?」莉奈はまだここは絶対に自分たちの家ではないと希望を持っていた。俊介は奥へと進みながら口を開いた。「そんなわけない。間違えて入ったんじゃない。それなら、この鍵じゃここは開かないはずだ。ここは俺の家だ。どうしてこんなことになってるんだ?うちの家電は?たったのこれだけしか残ってないのか?」俊介の顔がだんだんと暗い闇に染まっていった。彼は食卓の前に立った。このテーブルは彼がお金を出して買ったものだ。この時、頭の中であることが閃いた。俊介はようやく理解したのだ。唯月の仕業だ。「あのクッソ女ぁ!」彼はどういうことなのか思いつき、そう言葉を吐きだした。「あいつが俺の家をこんなにめちゃくちゃにしやがったんだ!」俊介がこの言葉を吐いた時、怒りが頂点に達していた。莉奈はすぐに口を開いた。「早く警察に通報してあの女を捕まえてもらいましょう。賠償請求するのよ。あなたの家をこんなふうにしてしまったんだから、どうしたって内装費用を要求しなくっちゃ」内装費?俊介は警察に通報しようと思っていたが、莉奈の言った内装費という言葉を聞いて、すぐにその考えを捨ててしまった。そして、警察に通報しようとしていたその手を止めた。「どうして通報しないの?まさかしたくないとでも?まだあの女に情があるから?」莉奈は彼が電話をかけたと思ったらすぐに切ってしまったのを見て、とても腹を立て、言葉も選ばず厳しく責めるような言い方をした。彼女は自分が借りていたあの部屋はもう契約を解消してしまったし、全てを片付けて彼と一緒にこの家に帰ってきたのだ。ここに着くまでは、豪華な部屋に住めると思っていて、家族のグループチャットにキラキラした自分を見せつけようと思っていたというのに。結果、目に入ってきたのは素建ての家屋にも遠く及ばない廃れ果てた家だったのだ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ